「安心して学べる」ってどういうこと?

学校現場では、「安心して学べる」という言葉をよく見かける。

 

「安心して学べる教室」

「安心して学べる授業」

 

どちらもなんとなくわかるが、その思い描く様子は、人それぞれだったりする。

学校に限らないかもしれないが、そういう言葉は数多い。

そうすると、たとえば議論がかみ合わなかったり、一緒になって何かをやっていく際に足並みがそろわなかったりする。

 

「安心して学べる」って何だろう。

このことについて、ちょっとだけ考えてみたい。

 

goo辞書によると、

あん‐しん【安心】

[名・形動](スル)
気にかかることがなく心が落ち着いていること。また、そのさま。「列車で行くほうが―だ」「―して任せられる」
⇒あんじん(安心)
 
とある。
 
この意味に照らし合わせて「安心して学べる」を解釈すると、「他に何も気にせず、落ち着いて、学べること」となるだろうか。要は、「学びに没頭できる」ということ?
 
だけど、実際の教室で、勉強が苦手な子どもを想定すると、それだけでは不十分な気もする。「気にかかる」ことが多すぎるからだ。
 
そうすると、たとえば、「『わからない』と言える」とか、「誰かに聞ける」とか、「立ち止まってじっくり考えられる」とか、具体的な言葉が必要になってくることがわかる。
 
「安心して学べる」という言葉をスローガン的に使うだけではダメで、それがどんな状態を指し、そのためにどんな手立てが必要なのかを議論しなければ、「安心して学べる」という状態は絵に描いた餅である。
 
 
ある業界・範囲内のみで通用する専門用語、特殊用語のことである。
文脈を高度に共有するもの同士であれば、ジャーゴンを使うことに大きな問題は生じない。しかし、そうでない場合、両者間の溝は深いものとなる。
 
今、教員の世界には20代の人が増え、年齢層の二極分化が見られる地域もある。
ジャーゴンは通用しない。
だけど、意思疎通は欠かせない。
抽象的な言葉の隙間を埋めていく作業が、いま何よりも必要なのではないかと思う。